優秀なプレイヤーは多いものの、リーダー人材は不足していると言われる日本のビジネスパーソン。
近年の日本ではリーダーシップを養うセミナーに参加する人や、研修を実施する企業などが増えています。そんな中「リーダーとしてのパフォーマンスにはエンパシー(empathy)が大きく関わっている」という研究結果が発表され、「empathy教育がリーダーシップを養うのではないか」とも言われています。
empathyとは「共感力」のこと。ここではempathy教育とはどのようなものか、共感力を身に付ける方法を解説するとともに、ビジネスにおいて共感力はどのように位置付けられるべきなのかを考えます。
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目次
empathy教育はリーダーシップを養うか?
empathy教育とは何か?
empathy教育とはその名の通り共感力を磨くための教育です。相手の感情に触発されて抱く「同情」「あわれみ」の意味を持つsympathyとは違い、empathyは相手の価値観や人生観を理解した上で反応する能力のことを指します。[1][2]
例えば仕事で大きな失敗をして悔しがっている同僚を見て、「もし自分が同じ立場だったら」と想像して同僚と一緒に悔しがるのはsympathyで、主体はあくまで自分です。一方、「いつも周到に準備をして、万全を期す彼のことだ。
今回の失敗はかなり悔しいだろう」と考えて声をかけるのがempathyです。相手の価値観や人生観に寄り添って、相手の目線から「何を考えているのか」「何を感じているのか」を考えるのです。
社会起業家のメアリー・ゴードンは1996年にこのempathyを教育プログラムとして組み込んだ「Roots of Empathy」を考案しました。このプログラムは、幼稚園や小中学校のクラスに赤ちゃんを教師として迎え、年間を通じて赤ん坊の考えや感じていること、そして成長をじっくりと観察するというものです。
生徒たちはまだ言葉を話さない赤ちゃんの仕草や表情などを観察し、感情や思考を推測する訓練を積みます。生徒たちはこの訓練で相手の目線から「何を考えているのか」「何を感じているのか」を読み取るempathy、すなわち共感力を磨くのです。
この「Roots of Empathy」の効果は絶大で、週1回45分の授業を9ヵ月継続して受けた生徒たちの間で、いじめや仲間外れが9割も減少したという調査もあります。相手の目線に立って考えることができれば、いじめや仲間外れがいかに残酷な仕打ちなのかが理解できるからでしょう。
この教育プログラムはカナダ発祥のものですが、今ではニュージランド、オーストラリア、アメリカのシアトル州、ドイツにも広がっています。このほかオランダでは「ピースフルエデュケーション」、アメリカのニューヨーク州では「Piece First」など、類似の教育プログラムが生まれ、成果を出しています。
リーダーのパフォーマンスは「empathy=共感力」がカギ
世界中の教育現場に広がりつつあるempathy教育ですが、実はビジネス界でも注目されています。
世界最大手の人材コンサルティング企業DDI(Development Dimensions International)は全世界18ヵ国、20もの業界から300以上の組織を選出して1万5,000人以上のリーダーを評価し、優れたリーダーの特性を調査しました。
その報告書である「High-Resolution Leadership」でDDIは、「リーダーシップの大部分は、有意義な対話をする力があるかどうかに依存している」と結論づけました。そして調査を通じ、「有意義な対話をする力」を測る指標として共感力が最も重要な役割を担っていることを明らかにしています。
共感力がビジネスパーソンにとって重要性を持つとされるのは、こうした背景があるからなのです。
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脳科学に基づく「共感コミュニケーション」の技術
「共感コミュニケーション」の12項目
ではどうすればリーダーは共感力を身に付けられるのでしょうか。アンドリュー・ニューバーグ(※1)とマーク・ロバート・ウォルドマン(※2)による共著『心をつなげる 相手と本当の関係を築くために大切な「共感コミュニケーション」12の方法』によれば、人間は生まれつき他者との意思疎通を図るコミュニケーション能力が低いことが分かっています。
共感力を身に付けるためには、新しいコミュニケーション方法を身に付ける必要があります。2人によると、この方法こそが以下の12項目から構成される「共感コミュニケーション」です。
1.リラックスする
2.今という瞬間に注意を払う
3.自分の内面にある静けさをはぐくむ
4.ポジティビティ(肯定的な感情と前向きな姿勢)を高める
5.自分の一番深いところにある価値観と向き合う
6.楽しかった思い出にアクセスする
7.非言語シグナル(言葉以外のサイン)を観察する
8.感謝の気持ちを表す
9.心から温かい口調で話す
10.ゆっくり話す
11.簡潔に話す
12.じっくり耳を傾ける引用:『心をつなげる 相手と本当の関係を築くために大切な
「共感コミュニケーション」12の方法』p20〜21
(※1)米トーマス・ジェファーソン大学病院Myrna Brind統合医療センター研究部長
(※2)米ロヨラ・メリーマウント大学Executive MBAプログラム・エグゼクティブ・コミュニケーション講師
7〜12の「他人へのアプローチ」
7の「非言語シグナル(言葉以外のサイン)を観察する」は前述した「Roots of Empathy」でしていたことと同じです。とはいえ、これは単に相手を観察して、表情や仕草から感情や思考を読み取るだけではありません。
人間の脳は、アイコンタクトが社交性を活性化させることが分かっています。同時にストレスホルモンである「コルチゾール」の分泌が抑制され、共感力や協調力、ポジティブなコミュニケーション力を向上させる「オキシトシン」というホルモンの分泌も促進されます。相手をじっくり観察するという行為は、科学的な意味でコミュニケーションを円滑にするのです。
8の「感謝の気持ちを表す」から12の「じっくり耳を傾ける」はいかにも共感力を引き上げてくれそうな項目ですが、これらにもそれぞれ科学的な根拠があります。
例えば8の「感謝の気持ちを表す」の根拠を紹介しましょう。感謝の言葉はポジティブな態度であることを相手に強く印象付け、相手のネガティブな態度を和らげる効果があることが分かっています。人は相手がポジティブな態度で話しかけてくると心を開きやすくなりますが、話しかけるときはついネガティブな態度をとりがちです。そこで「感謝の気持ちを表す」ことを習慣付けておけば、相手のポジティブな態度を引き出せるのです。
10の「ゆっくり話す」を取り入れると、聞き手の理解力が向上し、同時にこちらを尊重してくれるという研究結果が出ています。11の「簡潔に話す」の根拠は、人間の脳が集中して情報を処理できる時間が30秒間程度しかないとされているからです。わずかな時間で伝えなければならないのですから、できるだけ簡潔に分かりやすく話す必要があるのです。
1〜6の「自分へのアプローチ」
7〜12に対して、1〜6の項目を「他人に共感するのに、どうして自分にばかりアプローチしているのか?」と意外に感じる人もいるかもしれません。しかし『心をつなげる』の著者らは、共感コミュニケーションを身に付けるには1から12の全てが必要だとしています。なぜならば、共感力を磨くには自分の価値観を理解するのが必要不可欠だからです。
カリフォルニア大学ロサンゼルス校の研究者らは、自分自身の価値観、すなわち大切なことを改めて考えれば神経分泌機能が正常化され、ストレス反応が軽減すると報告しています。
体調が悪かったり、イライラしていたりすれば、誰しも相手に共感している余裕は生まれません。5の「自分の一番深いところにある価値観と向き合う」をはじめ、1〜6の項目は余裕を作るためのものでもあるのです。
1〜6をまとめてこなせる「エクササイズ」
著者のマークが講師を務める米ロヨラ・メリーマウント大学のExecutive MBAプログラムでは、開講初日の課題に「価値観エクササイズ」というものを採用しています。エクササイズの手順は以下の通りです。
- 目が覚めたらストレッチと深呼吸で心身をリラックスさせる。
- 「自分の一番深いところにある価値観(一番大切なこと)は何か?」と自問自答する。
- 浮かんだ言葉を、その際の気持ちや感覚、記憶などと一緒に毎日記録する。
このエクササイズを実践したプログラムの受講生たちは、はじめ「こんな無駄なエクササイズをやっている暇はない」と否定的な態度を示しましたが、最終的には多くの受講生が集中力の向上や人間関係の改善などを体感したのだそうです。それはこのシンプルなエクササイズに、共感コミュニケーションの1〜6の半分以上が含まれているからです。
ストレッチと深呼吸は心身をリラックスさせ(1)、呼吸に集中することで今に意識を向けさせます(2)。じっくりと自分の価値観と向き合う時間を持つことで(5)、内面も静かになっていきます(3)。この価値観エクササイズに加えて、「自分がその価値観を尊重してもらったら、どんな気持ちや考えを抱くか?」とイメージすれば、4の「ポジティビティ(肯定的な感情と前向きな姿勢)を高める」と6の「楽しかった思い出にアクセスする」も満たすことができます。
たった2〜3分程度のエクササイズですが、共感力を磨くには最適なエクササイズです。「共感力を磨くと言っても何から始めればいいか分からない」という人は、まずこのエクササイズから始めてもいいでしょう。
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「共感すること=リーダーの仕事」ではない
ここまで共感力の重要性と、その身に付け方について解説してきましたが、注意するべきは「『共感すること=リーダーの仕事』ではない」ということです。仮に共感力を身に付けたからといって、チームのメンバーに共感ばかりしているようではリーダーの仕事を果たしているとは言えません。なぜなら、最も大事なリーダーの仕事とは「決断すること」だからです。
確かに共感力が決断する際に役に立つ場合もあります。なぜなら、共感力のないリーダーは重大な決断を下す際に、部下から有益な情報を引き出せない可能性があるからです。DDIが示したように、共感力のないリーダーは、他者との「有意義な対話をする力」が低い傾向にあります。そのため共感力のあるリーダーなら手に入る情報も、共感力がないために手に入れられないケースが生じます。
例えばリーダーが「今回の新商品は顧客のニーズに応えている」と確信し部下にもそう伝えていたとします。ところが部下が顧客アンケートをとってみると、新商品のコンセプトと顧客のニーズはかなりズレていることが分かってしまったとしましょう。
本来であれば部下はすぐにリーダーに報告するべきです。しかしリーダーが自分に都合の悪い情報を耳に入れないような「有意義な対話をする力」が低い人間だった場合、この部下は上司に報告をしない可能性が出てくるのです。共感力が高く、部下たちとの有意義な対話ができるリーダーであれば、こうした事態には陥りません。
一方で、共感力が決断の足を引っ張る可能性もあります。これは部下とコミュニケーションをとる過程で、リーダー自身が決断することを避けるケースが見られるからです。なぜリーダーは逃げ腰になるのでしょうか。そこには以下の3つの「錯覚」が影響しています。
・ リーダーの役割は「決めさせること」だ
・ 部下はリーダーが決めたルールを評価できる
・ 部下に決断を委ねれば自分の責任が軽くなる
リーダーの役割は「決めさせること」だ
情報収集のために部下とコミュニケーションを繰り返していれば、リーダー自身が決断に迷う場面もあります。そのときに便利な言い訳が「部下を信頼しているので」と、決断する作業を部下に任せてしまうことです。そして自分は部下が決断するためにフォローするのが仕事だと、役割をすり替えてしまうのです。
確かにある程度のこと部下に任せるべきです。しかし権限を超えて決断を任せるのは、単なる責任放棄にすぎません。「共感すること=リーダーの仕事」という考え方は、こうした責任放棄の理由になる危険性があります。
部下はリーダーが決めたルールを評価できる
リーダーや上司の立場の人間には、「自分の上の立場の人間に対して良い成果を出す」という責任があります。だからこそ決断する権限や、ルールを決定する権限があります。これに対して自分の労働に対する責任しか持たない部下には、リーダーが決めたルールを評価する権限はありません。
ところが「共感すること=リーダーの仕事」と考えてむやみにコミュニケーションをとりすぎると、「イヤな顔をされたらどうしよう」「こういうやり方をすると、文句が出るだろうな」といった見当違いの不安を抱いてしまい、「部下はリーダーが決めたルールを評価できる」と錯覚するのです。
もちろん本当の意味で「有意義な対話」をしていれば、こうした錯覚には陥らないでしょう。しかしそのためには「リーダーの仕事=決断すること」と認識している必要があります。
部下に決断を委ねれば自分の責任が軽くなる
個人の責任は役職に就いた時点で決定しています。そのため部下に決断を委ねたところで、その上に立つ人間の責任が軽くなることはありません。
しかし情報収集のためにコミュニケーションをとる中で、「何が正しいのだろう」という迷いや「失敗したらどうしよう」という恐れが生じると、決断することそのものを誰かに押し付けたくなるリーダーもいます。そのときの心情は「決断したのが自分でないなら、責任も少しは軽くなるだろう」といったものでしょう。
これはリーダーとして最悪の言い訳です。しかし「共感すること=リーダーの仕事」という考えに基づいたコミュニケーションは、こうした錯覚を招く可能性もあるのです。
「リーダーの仕事=決断すること」である
確かに共感力はリーダーにとって重要な能力です。しかし大前提として「リーダーの仕事=決断すること」という考え方がなければ、リーダーがリーダーとして機能しなくなる危険性が生じます。共感力は、そうしたリスクを理解した上で磨くべきでしょう。
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empathy教育はリーダーシップを養うが……
世界中に広がりつつあるempathy教育は、DDIの研究などからも分かるようにリーダーシップを養う可能性を秘めています。
しかし「empathy=共感力」という言葉に惑わされてしまうと、リーダーの最も重要な仕事である「決断すること」がおろそかになる危険もあります。
共感力は、そうしたリスクも考慮した上で磨くべきものなのです。
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参照
[1]http://rootsofempathy.org/
[2]https://www.ashoka.org/en/fellow/mary-gordon