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金融庁の監督手法から学ぶ、コンプライアンスリスク低減のためのコミュニケーション方法

企業不祥事の中には、横領のような悪質なものから、経理処理誤りや資料の紛失のような、当事者に害意のない、過失や怠慢等によるものがあります。
後者の類型に関して、そのリスクを抑えるための方法を、社内コミュニケーションの観点から考えたいと思います。

 

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Aくんの懲戒処分

 

筆者が新卒入社した会社の同期に、真面目で物静かなAくんという社員がいました。
入社2年目のある日、Aくんは、懲戒処分を受けました。彼を知る者たちは、「あんなにおとなしい奴が何をしたんだ」と騒然としました。
社内公表された文書によると、Aくんは、処理すべき仕事を放置し、書類を机に溜め込んでしまっていました。さらに、処理の遅延をとがめられることを恐れて、業務の進捗管理表に虚偽の記載をするなどの隠ぺいを行っていたようです。
社内公表文書は、Aくんの上司が作成していました。公表文には事実を淡々と記すのが通例でしたが、このときの文書には「上長や同僚を欺く卑劣な行為」であるとの記載が含まれており、上司が憤慨しているさまが伝わる珍しいものでした。

Aくんの行為は社内外に影響を及ぼし、会社の信用を損なったり、本来発生するはずのなかったリカバリーコストが生じたりしており、確実に会社に損失を与えました。Aくんは確実に悪いことをしたし、それに憤慨する上司の気持ちも理解できます。
しかし、その上司は「被害者」なのでしょうか。何より自部署の業務管理は形骸化し、目が行き届いていなかったわけですし、加えて、上司はAくんと適切なコミュニケーションをとっていなかったことも、容易に想像できます。

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金融庁の監督手法の今昔

 

ところで、金融庁は、大蔵省だった時代から国民の財産を守るため、金融機関を厳しく監督してきました。
つい最近まで、その監督手法のメインは「金融検査」でした。以前は、抜き打ち検査が行われることもあり、金融庁の検査官がある日突然金融機関に訪れて会議室を占領し、隅から隅まで書類を確認して不適切な事案を指摘する、といったこともあったようです。かつての金融検査を経験した銀行員等に話を聞くと、検査への恐怖感を口にする方は少なくありません。

金融機関は、金融庁が顧客保護のために示す「正解」に従って、各社同じような預金商品・保険商品・証券手数料でもって事業を行っていました。
しかし、1990年代後半の「金融ビッグバン」と呼ばれる、規制緩和を含む大幅な改革により、それまでの「護送船団方式」が廃止され、外資系企業を含む多種多様な金融機関の設立や、個性豊かな金融商品の誕生が進みました。

また、昨今、新しい技術やビジネスモデルを活用した産業の進展について、諸外国に水をあけられないよう、政府は成長戦略の一環として実証制度をスタートさせるなど本腰を入れており、金融庁も、競争力のある新技術活用等の促進を支援しています。
このような金融自由化と技術革新により、金融庁は、「正解」がない状況下で顧客保護を図る必要に迫られました。
そのため、従来の金融検査のような、細かな規則に基づく「ルールベース」の監督の実施が困難となりました。その代わり、基本原則に基づく、金融機関の自主的な取組みを促す「プリンシプルベース」の監督を行う方針を打ち立てました。

この大転換に伴い、金融庁は、具体的な監督手法を「検査」から「対話」を通したモニタリングへと変えました。すなわち、金融機関の戦略や計画、その実行状況ついて、金融機関の役職員との対話を通して探っていき、顧客保護の原則に合致しているかどうかを確認するものです。
このとき、金融機関の役職員が、事実と異なる回答をしたのでは適切なモニタリングは実現しません。そこで、金融庁は、金融行政方針の中で、対話において「心理的安全性」を確保することを重視していくことを示しました。[1]
心理的安全性とは、ハーバード大学のエドモンソン氏が提唱し、近年Googleが生産性向上に資する要因として発表したことで話題となっている概念ですが、金融庁もこれを用いて、金融行政方針中ではこれを「一人ひとりが不安を感じることなく、安心して発言・行動できる場の状況や雰囲気」であると定義しています。
細かな「正解」はもうないのだから、びくびくしないで本音を話してほしい、ということです。それにより、実態を的確に把握してモニタリングの実効性を確保し、本質的な問題点を探ることを目的としています。

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人間は完璧ではない

 

今思うと、Aくんは、職場での心理的安全性がほとんどなかったのではないかと想像します。ひょっとすると、文書に憎しみを込めてしまうような感情的な上司の下で、昔の金融検査を受けているときのような恐怖におびえながら仕事をしていたのかもしれません。
Aくんも、どこかのタイミングまでは順調に仕事をこなしていたはずです。業務量が増えてきたときにSOSを出せていれば、そもそもこの事案は生じなかったかもしれません。また、何かのきっかけで業務に遅れが生じ始めても、その時にすぐに上司に打ち明けて、他の仕事を振らないでもらったり、他の人と手分けしたりできれば、大事には至らなかったかもしれません。

人間は完璧ではありません。仕事のミスが皆無になることは絶対にないし、気が緩むこともあります。
それを前提として、周りに助けを求めても良いこと、問題を起こしてしまったら、隠すのではなく早く申告することが最善の策であるということが、Aくんの頭と心にしっかり染み込んでいれば、Aくんは処分されるには至らなかったかもしれません。

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心理的な仕組みづくり

 

企業不祥事の未然防止や、発生後の早期発見については、各社様々な対策が講じられています。部門間のチェック体制、内外からの監査、内部通報など、社内規程や制度による仕組みづくりがされています。
これに加えて、上司の態度や言動といったソフト面からも、対策することができるはずです。

枝葉である行動一つ一つに過度に干渉するマイクロマネジメントではなく、主要な考え方を伝え、あるべき姿へ導くコーチングを行うことで、思考停止のルール主義に陥らず、部下の自ら考える力を醸成できます。
また、「あるべき姿」がない現代のビジネス環境においては、正解のない問題に直面することも往々にしてあります。そんなとき、上司と部下とが対等にブレストし、一緒に解決策を考えるプロセスを設けるのも一つです。上司に遠慮せずに意見し、受け止めてもらえる経験は、部下に安心感を与えます。

笑顔で挨拶や雑談をして、「あなたを受け入れている」ことを示す。初歩的な質問をされても呆れた態度をとらずに向き合って答える。とんちんかんな発言をされても突き放さない。起こしてしまった問題を報告しても叱責せず、冷静な事実確認を行う。
日頃からのこのような行動が、部下の心理的安全性を育み、早め早めの相談・報告をしやすい土壌ができるはずです。これは、リスクの低減に資する「心理的な仕組みづくり」といえるかもしれません。

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[1] 金融庁「利用者を中心とした新時代の金融サービス~金融行政のこれまでの実践と今後の方針~(令和元事務年度)主なポイント」P5,7
https://www.fsa.go.jp/news/r1/190828_summary.pdf

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