今回お伝えしたいのは「環境に抗うな」ということです。
コロナをつうじて、あらためて「環境に抗わない」姿勢はすごく大切だと認識しました。コロナ自体もひとつの「環境」でしょう。
その環境に対して文句を言っても仕方がないのです。
うちの社員がすごいと思ったのは、コロナ禍という「環境」を言い訳にしなかったことです。
ふつうであれば「コロナなんで目標下げましょうよ」とか「コロナだからお客さんが会ってくれないんで」などと言い訳をしたくもなるでしょう。
でも社員たちは瞬時に「コロナは環境である」と認識し、「コロナの中でいかに求められている成績を残すか」に思考を切り替えたのです。
その結果、今まで10%だったウェブ講義の実施率が80%まで上がり、営業の商談数は1.6倍になりました。これまで社員たちに「環境に抗っちゃいけない」とつねに伝えてきたことが、ここで活きたのです。
目次
雨が降るなら傘をさせばいい
環境に抗うのは、超無駄です。
雨が降ってるなら傘をさせばいい。「なんで雨降るねん」「雨降りませんように」などとぶつぶつ言っていても時間の無駄なのです。このことをみんなわかっていません。
なぜ多くの会社では「言い訳」が発生するのか?
それは「環境に抗えば変わる」状況にいるからです。上司に文句を言う。経営者に文句を言う。言い訳をすれば許される。言い訳をすれば目標を下げてもらえる。そういう状況であれば、みんな言い訳に精を出すようになります。
うちの会社では言い訳は一切聞きません。もちろん現場の情報は聞きますが、それもあくまで「情報収集」であって決定権は上司側にあります。
ようするに社員にとって上司・経営陣も「環境」なのです。
会社は「一定」であるべき
これは普段から経営陣が「一定」でなければできないことです。
「一定」とは、個々の人や状況に対して必要以上の配慮をしないことです。会社は仕組みで動いています。よって、ひとりの社員の意思で上司や経営陣が動じるようではいけません。上司や経営陣は、あくまで「環境」であり続けるべきで、そう認識されるべきなのです。
思い出すのは、早稲田大学のラグビー部にいた4年間のことです。
あのときは、まったく「環境」に抗えませんでした。上級生の個人練習が終わるまで掃除を始めてはいけないし、大事な試合の朝の練習前には完ぺきに落ち葉を拾っておかなければいけない。それが揺るぎない「環境」でした。
ラグビー部の例は極端な話かもしれません。しかし世の中もそういうものだと思うのです。自分が変えられないところで抗っても仕方がないのです。
環境に抗えないことを悟ると、今度は「その環境の中でいかに自分がパフォーマンスを発揮するか」に思考を切り替えるようになります。それによってむしろ余計なストレスがなくなるのです。
「環境の範囲」が明確になると「自由」になる
識学はルールや環境の重要性を強調しています。
よって、ずいぶん誤解は解けてきているものの、未だに「軍隊のように動かなければいけない」といった間違ったイメージを持たれることがあります。
一方で、直接やり取りしている関係者の方からは「識学の社員は楽しそうに働いていますね」「ガチガチにルールで縛られてるわけではないんですね」と言ってもらいます。
「識学カレンダー」を自分から企画したり、オリジナルの「識学ウォーター」をつくったりもしています。もちろん私が「やれ」と言ったわけではありません。別に社員は言われたとおりロボットのように動くわけではないのです。
なぜうちの社員が楽しそうかというと「ここまでが環境で、あとは自由」ということが明確になっているからです。だから疑心暗鬼が生まれず、働きやすいのです。
これは環境なのか、自由なのか。よくわからない領域があると、自分で雨を止ませられそうな気がしてきます。でも実際に雨は止まない。それがストレスになるわけです。環境の範囲が明確になっていると、やることさえやってれば、あとは自由です。とにかく前提条件に基づいて動けばいい。こんなに楽なことはありません。
そこが曖昧な会社では、よかれと思ってやったことが急に上から否定されたりします。よかれと思ってカレンダーを作ったら「そんなことやってないでこっちやれ」と言われるかもしれません。「え、そこは自由じゃないの?」というすれ違いが出てきてしまいます。
「雨は環境だよ」と伝えてあげれば、雨の日なりの遊び方が出てくるでしょう。そのときに「雨降らないって言ったじゃないですか」などと憤りを感じさせてしまうのは、無駄なストレスです。「やることをやっていれば自由」という状態は、社員にとってもやっぱり安全なのです。
会社の問題は、すべて経営者の責任
経営者や上司は「環境」である。
そう言い切る以上、上の者にはそれなりの責任が出てきます。私の場合、自分の会社で起きることは、すべて自分の責任であると認識して組織運営しています。
まさに会社を「自分の体の一部」のように認識しているのです。だから、何か問題が起きたときは、個人の問題以前に、まず会社の環境に目が向きます。「うちのどういう仕組みが悪かったのか?」もしくは「私のどういう設定がマズかったのか?」などと考える。環境をつくる側には、個人のエラーを生み出さない環境をつくることが求められているのです。
人間どうしのつきあいで経営してるような会社は、何か問題が発生したときに、個の責任にします。そこが私たちとまったく違う点です。
環境づくりは会社側の責任。社員はその環境下で結果を出すのが責任です。するとお互い「言い訳」が生まれずに、スムーズに組織が動き始めます。
もし上司が自分の責任を棚に上げて、部下に対してだけ「お前はなあ」などと言ってるような会社では、部下側も言い訳しやすくなるでしょう。
もちろん部下のできていない部分は指摘します。ですが、そもそもの発想として、できない人間が出てきてしまった自分たちにも問題があると認識しているのです。だから個の性格や能力によるエラーと捉えるのは、ホントに最後の最後です。
こういう組織であれば、ちょっと失敗してもいきなり刺されたりはしません。みんな本当に安心して働けるはずなのです。
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引用元:安藤広大/株式会社識学 代表取締役社長note「雨に文句を言うバカ」