会社のメンバー全員が「ニート」。しかも全員「取締役」。そんな不思議な会社をご存知でしょうか?
株式会社NEETです。
設立以来「自由」を大切にしてきたニートの組織が、組織コンサルティングの「識学」を導入することになりました。そこでまずは、株式会社NEETを設立した若新雄純さんと語りあうことにしました。
思いのほか盛り上がり「自由とはなにか?」「会社とはなにか?」「居場所とはなにか?」という本質に迫るような対話になりましたので、このnoteで一部始終をご紹介しようと思います。
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若新 雄純(わかしん・ゆうじゅん)
株式会社NEWYOUTH 代表取締役/慶應義塾大学 大学院政策・メディア研究科 特任准教授/国立福井大学 産学官連携本部 客員准教授
人・組織・社会における、「創造するコミュニケーション」を研究。日本全国の企業・団体・学校等において実験的な政策や新規事業を多数企画・実施し、ビジネス、人材育成・組織開発、就職・キャリア、生涯学習、学校教育、地域・コミュニティ開発などさまざまな現場でフィールドワークを行う。テレビ・ラジオ番組等でのコメンテーター出演や講演実績多数。慶應義塾大学大学院修了、修士(政策・メディア)。
目次
「無秩序ではない新しい自由」は実現するか?
若新 株式会社NEETは、ずっと「ルール」とか「仕組み」からはみ出し続けてきた人たちによってつくられている会社です。
そこでの大きなテーマに「自由にやりたい」というのがあります。ただ一方で「無秩序」になっていくと、それはそれでみんな疲れるわけですね。だから「無秩序ではない、無法地帯ではない、新しい自由」みたいなものが今回見つかったらいいなと。
安藤 「新しい自由」ですか。
若新 「ルールに縛られたくない」って言ってた若者たちが識学とぶつかることで新しい発見があるんじゃないか。
僕は大学の研究者もしてるので「交わらなそうだけど、テーマがつながってる」ものどうしがコラボするのは、すごくおもしろいんじゃないかと思ってるんです。
安藤 いや、ムチャクチャおもしろいと思いますね。
僕らの考え方って「人間っていうのは結局みんな一緒だ」と。だからルールがない状態で集団が動くと、必ずストレスが出てくるはずだと思ってるんですね。
それがニートの会社だからといって、ルールのない状態でうまくいくはずないという仮説があります。そのあたりが実際どうなのか?
「生々しくてややこしい」人間というものをどう扱うか?
若新 僕の関心は、つねに「人間」です。
人間というものが生々しくてややこしい存在だからこそ、それを秩序立ててコントロールする「ルール」や「仕組み」が必要、というのもわかります。
一方で「人間という難しい存在を限りなく制限、抑制しないかたちでうまくまとめていくにはどうしたらいいだろう?」という思いもある。
識学もニートも向き合っているものは「思いどおりにならない人間という存在」ですよね。
安藤 「人間集団」っていうことですよね。「人間の集まりを、どうしていくのか?」っていうことが共通のテーマやと。
若新 僕はやっぱり人間集団って、すごく扱うのが難しいもの、ヤバいものだと思ってて。それは会社だけじゃなくて、家族とか学校とかもそう。
僕はずっとこの「人間集団」というものと、葛藤し、過剰に反応してきました。それで大学でもコミュニケーションの研究するようになった。
ただ、僕の研究のアプローチは「集団をどう上手にマネジメントするか?」ではなくて、「マネジメントに頼らない集団のあり方がないものだろうか?」ということ。そこで街づくりだとか、学校の教室の中でとか、いろいろと新しいかたちを実践してきたわけです。
一方で、やはり利益を追求する組織で「マネジメント」というものを超えるものが、完璧に発明されたわけではない。そこに僕なりの答えがあるわけでもないんです。
「いやいや、識学さん違いますよ」ってことじゃなくて、そこに真っ向から向き合いたい。
社員の「本音」は無視されるのか?
若新 そこでまず聞きたいんです。
経営者からすると当然「利益を最大化する」とか「目的の事業を果たす」ために組織があるので、仕組みに基づいて従業員が動いてくれることが理想だと思うし、ちゃんとそれで報酬で還元ができれば多くの人は納得するでしょう。
ただそこでどうしても従業員一人ひとりの「本音」が出てくると思うんですが、そこと識学はどう向き合ってきたんでしょう?
安藤 そうですね、まず「本音」の定義からいきましょうか。
人間って、会社という組織に属していますよね。一方で会社以外の集団にもいっぱい属しています。友だちグループとか家族とかですね。
若新さんの仰った「本音」というのは、「会社員としての本音」というよりは、「一人の人間としての本音」ですよね。
会社員ではなくて「イチ人間」としての本音。識学では「そことは向き合わない」というのがひとつの結論です。
若新 なるほど。
安藤 「会社員として」利益を獲得できるようにする。成長させ、報酬を得られるような環境を用意する。それが正しい会社運営だというふうに言っています。
だからその人の「個人的な趣味」とか「個人的な好き嫌い」みたいなところに向き合うことはありません。
若新 ただ、ですね。
日本人はこれまで、人生のほとんどを「会社に所属する」ことに捧げてきましたよね。人生における「居場所」が職場であり会社だった。そこは大きいはずです。
会社でどう評価されて、会社でどう扱われるかが、その人が「人間として」どう扱われるかってこととイコールに近かった。
いまは副業をする人も増えているし、並行していろんなコミュニティに属する空気になってきてはいますが、それを実現するには働き手も一箇所に所属を求めすぎない「強さ」が必要ですよね。
安藤 まあ、それはそうですね。
若新 そういう「所属しすぎない」強さがないと、能力があっても副業のようなパラレルな働き方は不可能じゃないかと思ってるんです。
僕の場合、フリーランスで働くようになって、それこそ十何年やってきたんですけど、たぶん所属先が「自分」なんですよね。カッコいい言い方すると。
安藤 そうそう。それができる人はそういう働き方でいいと思いますよ。
「会社が居場所」という人はどうなる?
若新 「人生のすべてを会社に捧げたい」と思って入社した従業員もいる。
識学はそういう人たちに対しても、所属の範囲はあくまで「会社員として」考えるよう促します。会社と「距離感」をとらせる。
すると彼らのなかの「所属欲」みたいなものが満たされない。「所属したい」という思いが満たされず、ぽっかり心に穴が空いてしまう。そういう不安もあると思うんです。
安藤 うーん、「所属欲」というと?
若新 先ほどのお話だと「人間として」会社に所属してしまっているから、いろんな問題が起きる。
だからそことは向き合わずに「会社員」として所属せよ。いい意味で割りきることで関係を良好にしよう。これが識学の考え方である、と。
安藤 はい、そうですね。
若新 そこで「君は会社員でしかないんだよ」と言ったときに「人生すべてを所属させていた人が会社に全部預けていた「所属したい」という感情をどこに持っていけばいいのか?」ということです。
安藤 そういう意味で言うと、すべての人が会社員でありながらも他のコミュニティにもつねに所属してるはずなので、そこで「所属したい」という欲求は満たしてもらえばいいんじゃないかなとは思いますけどね。
若新 他で満たせ、と。うーん……。
安藤 あと、ここを見落としがちなんですが。
会社員の側も会社と付き合うときに「自分が得だ」「自分に利益がある」と思わなければ、その会社から離れていくはずなんです。
だから「会社員として」という言い方をするとドライに聞こえるかもしれませんが、一方で会社側からすると「ここにいることに対する利益」をきちんと感じてもらえるような状態をつくっていかなきゃいけないってことにもなるわけです。
つまり「ぽっかり穴が空く」なんてことはそもそもおかしいわけですよ。
若新 ……ということは、むしろこれまで会社は「明確な利益」をちゃんと返せていなかったのに「キミたちの人生をちゃんと預かるよ」というような「曖昧なメリット」で社員を結びつけさせていたってことでしょうか?
安藤 そんなの今の時代、もう成立しないじゃないですか。
若新 終身雇用も年功序列も保証されないですからね。
かつては社員にとっての利益が「キミの人生をずっと保証してあげるよ」ってことだったんだけど、いまは明確なリターンもよくわからないまま、「うちの会社を愛せ」みたいなボンヤリとしたものだからマズいということか……。
安藤 そういうことだと思います。だから今は「愛せ」とは言わないですよね。「結果的に愛されるような存在」になるように会社はふるまう、という感じかな。
「会社がぜんぶ面倒を見る」なんてインチキだ
若新 僕のやっている「ニート株式会社」は、「所属」というものがなかなか見つけられなかった人たちにとっての「最後の砦」になってるんですね。
これまで僕も「所属の最後の砦になれればいい」と思ってやってきたんですが、結局「彼らのすべてを引き受けられるか?」と聞かれると、やっぱりそこは難しいんです。あくまで「所属のひとつ」にしかなれない。
ただ逆に「所属のひとつとして、こういうことが得られるよ」ということが明確にできれば、なんでもかんでも依存はしてこないはずで……。
安藤 そういうことですね。
若新 会社のメンバーの一部は「ここしかないんだし、ここを信じてきたのになんなんだ!」と。「なんで若新はオレたちのほうを向いてくれないんだ!」みたいな感じなんです。
僕のほうも「そんなに全部は引き受けきれないよ……」「みんなで考えてよ」という感じなのですが。
今の話を聞いて「あなたたちのすべてを引き受けます」というのは、もしかするとウソでしかないのかもしれない。だって、愛し合って結婚した夫婦ですら、実はお互いを完璧には引き受けきれないですもんね。
安藤 それはそうですね。
若新 おそらく、母親と子どもが生涯かけて「引き受けるってなんだろう?」みたいなこととギリギリ向き合うことができるかくらいの話で。親子でも「引き受ける」ってことと向き合いきれない人もいるわけですからね。
安藤 まあ、そうです。
若新 会社が説明会で「あなたたちの人生をすべて引き受けます」っていうのは、たしかにインチキなのかもしれない(笑)。
安藤 はははは(笑)。
「仕事」という競技が苦手な人はどう生きるべきか?
若新 ただですね、そこで僕が思うのは、今のような話って「仕事」っていう競技において、「自分が提供できる価値」と「もらえる報酬」がわかりやすくマッチするような人はどんどんうまくいくはずなんです。
たとえばステレオタイプな話かもしれないけど、20年くらい前から外資系の企業が仕事のできるエリート層に受け入れられてきたのは、これまでの「古い所属感」ではなくて「君ができることはなんですか?
うちの会社が与える報酬がこれですよ」といった、いい意味での割りきった関係がマッチしたからでしょう。
安藤 そうでしょうね。
若新 僕は「仕事する」とか「経済活動でパフォーマンスを出す」というのは、スポーツと一緒だと思ってるんですね。だから得意不得意は当然ある。仕事が苦手な人もいると思うんですよ。
でも生活の糧は必要ですよね。全員、生活保護を受ければいいというわけにもいかない。これ、ひろゆきさんに言わせれば「いいじゃん、苦手なら生活保護で」ってなるのかもしれないけど(笑)。
安藤 ははは(笑)。
若新 全員がそういわけにもいかない。エリートでも生活保護でもない「中間の人たち」っていうのが、ボリュームゾーンなので。
僕はむしろ、こういう人たちのために世の中の雇用があるべきじゃないかと思ってるんです。
つまり、「明確な結果」というよりも「やった感」で給料がもらえるような仕組みが、社会のインフラとしては必要なのかなと。
「完璧にこのパフォーマンスが出せました。だからこの報酬です」という仕組みではうまくいかない人たちも多い。
仕事がたまたま「得意種目」の人にとっては最高かもしれませんよ。
でも「苦手だけど、なんとか仕事というものをこなして報酬を得なければいけない」という人も多い。「なんとなく仕事をこなした。それに対して報酬をもらった」という曖昧さがないと生きていけない人もいるんじゃないかな、と。いかがですか?
安藤 どうなんやろうなあ。「やった感に対して報酬が与えられる」って、けっこう日本のサラリーマンの大半はそうなってる気もしますけど。
若新 実際はそうですよね。
安藤 現にわりと曖昧な状態になってますし、それで救われてる人も少なからずいるんでしょうね。
……そうですね、今回、僕らの会社みたいなビジネスゴリゴリの会社とニート株式会社が出会うことで「なぜ会社にいるのか?」という話ができる気がするんですね。
若新 会社における「存在意義」ですね。
安藤 だからその「存在意義の正体」というのが見えてくるかもしれない。うちのような会社とニート株式会社のあいだにも共通点はあるだろうし、共通していない部分がなんなのかを解明していくと「人間集団がうまくいくためのひとつの答え」が見えてくるんじゃないかな、と思っています。
ビジネスの世界だと「お金」とか「評価」「昇進」とかっていうのが存在意義の確認になってくるわけですけど、若新さんのところはおそらく違いまよね?
若新 報酬が払えない状態ですからね(笑)。
安藤 でも、それでも「会社に属してる」っていうことは、なにかしらの「存在意義」を認識できている状態だと思うんです。それがなんなのか? それをどういうふうに変化させていくところまで可能なのか?
若新 「ボーナスがたくさん支払われる」とか「高い給料が出る」とかじゃなくても、存在意義がちゃんと感じられるようなルールや仕組みというのはきっとある、ってことですよね。
安藤 そうだと思います。
組織において「感情」をどう扱うべきか?
若新 「存在意義」といえば、僕がニート株式会社をやっていて、いちばんおもしろいと思ったし、いちばん恐ろしいと思ったことがありまして。
会社では頻繁に派閥争いが起きて、ケンカが起きるんですね。
みんな「ケンカがイヤだイヤだ」と言っておきながら、問題が解決されて静かになると、次のケンカを待ってる人もいるんです。「最近、平和だなあ」とか言って(笑)。
安藤 ははは(笑)。
若新 「これ、なんなんだろう」と思ってたんですけど、そこでわかってきたことが「ケンカが好き」っていうだけじゃなくて、やっぱり「喜怒哀楽」がないと、人はそこにいるという実感がないんだろう、と。
ケンカで対立が起きると、すごい喜怒哀楽がうずまくんですね。衝突してるときは怒ったり悲しんだりしてるんですけど、いじめられてる人をフォローする人が現れたりして。
みんなで仲良くなって、夜な夜なずっとネットでしゃべったりして「おまえ悪くないよ」とか「おまえのが正しいよ」「ありがとう」みたいな、感情が起こっていて。
安藤 感情ですね。
若新 「感情をきちんと感じられる」というのが、人間の「所属」にとって重要なのかなと。そこまではわかったんですけど、それを「仕組みとして運用する」っていうことは、まだ僕の中でうまくわかっていないんです。
だから「仕組みやルールを強くしていくことが、人間の感情を排除することではない」ということがもし見えてきたらおもしろいなと。
識学は「感情を排除してシステマティックに動け」というコンサルのサービスだと思われがちだけど、そうでもないのかなと思う部分もあるし。
「感情」というものとどう付き合っていけばいいのかというのもすごく関心があります。
安藤 識学が「感情」についてどう考えているか、ちょっとお話ししますと。
まず、感情というのは自然と発生するものなので仕方ないと。ただ、経営側、つまり組織の枠組みをつくる側が感情で仕組みをつくってはいけませんよと伝えています。
あと、ビジネスで成果を上げようと思ったときは、目標に到達するまではできるかぎり感情は消したほうがいいとは言ってますね。
で、結果が出たあとに「悔しい」とか「うれしい」といった感情は出すべきだと言っています。
若新 なるほど。
安藤 いま「人はケンカを求める」って仰ってたじゃないですか。これって、まさに「存在意義」なんですよね。
ようするに「オレは味方だ」というのも存在意義だし、「あいつがダメだ」と言うことで今の自分の存在を認識してるということなので。
普通の会社でもこういうことはあります。
ある人が上司に激しく感情的に怒られるとしますね。そうすると、その人は数字を上げなくても大丈夫になるんです。
つまり「怒られたことで存在意義が満たされる」からです。だから、逆に数字を上げようとしなくなっちゃう。
若新 「怒られる」って「向き合ってもらえてる」という変な安心感がありますよね。
安藤 そうそう。「個として認めてもらえてるんだ」と。怒られることで存在意義を認識できてしまう。
若新 たしかにね。しかも日本型の雇用だと、いきなり解雇されることもないし。
安藤 そうそうそう。
若新 一方、外資とかだと感情的に怒られない代わりに、いきなり肩たたかれる。このへんが、僕らが組織に求めるものの難しいところですよね。
今はその「感情的になる」っていうのも、すぐ「パワハラだ」「モラハラだ」と言われるし。
安藤 うん。
若新 ここもすごく関心があるんですよね。感情と仕組みのバランス。
ルールは信号。信号に感情を抱く人はいない
若新 安藤さんがおっしゃったように、感情は発生するもの。今回集まるメンバーは、ある意味素直だし、一方ですごく複雑なんですね。
彼らに対して「はい、お金あげるから感情抑えてね」ということはできない。
ただその「存在意義」というものを探究することで「そっか、人の感情とこう付き合っていけばいいんだ」みたいもなのがわかったらいいな、と。
普通の会社なら「感情は抑えるべきだよね」で終わるじゃないですか。
でもニートの彼らにとって感情ってそんな割りきれないものなんですよね。ロボットのように感情を殺して働かなくてはいけないのか?
安藤 識学も「ロボットのように感情を殺して動け」とは言ってないんですね。そうじゃなくてルールをつくる。いわば「信号」みたいなものです。
人は感情を殺してドライブするわけじゃないですよね? でも信号は特に何の感情も持たずに守るはずです。感情が大切だからって、信号をなくしてしまえば事故ってしまう。
だから信号だけはちゃんと守りましょう、と。
若新 今回、どういう結果になるかわからないですけど、もしいい結果ができるとしたら、「働きたくない若者すら動く」っていうことよりも「ルールや仕組みがあると、人間の感情がより生かされる」ということかもしれない。
やっぱり感情を殺されたくないって思ってる人たちが多いんですよね。
勝手なイメージですけど、識学を導入すると感情をコントロールできるシステマティックなやつだけが上がっていけるみたいな誤解があるのかなと。
「どんなコンサル受けてんの?」って聞かれたとき「感情を排除して、決まったルールで動くんだよ」みたいに捉えられてる可能性が高い。
それがたぶんクチコミとかになりがちなんだけど、「豊かに、感情的に生きられるようなルールや仕組みとはなにか?」みたいなことが見えたらおもしろい。
安藤 いちばんストレスになるのって「なんでわかってくれないの?」っていう感情なのかなと思うんです。
若新 「わかってくれない」は、あるでしょうね。すれ違ってます。ニート株式会社、365日すれ違ってますから。
安藤 そこのところが、営利組織においてはやっぱり邪魔してる部分が多くて。
さっき「信号」にたとえましたけど、その部分の感情はやっぱり会社では「ロスタイム」になるんですね。ようするに「認識のズレ」だけの話なんで。
だから、その部分の感情は僕らは取り除く。でも、ニート株式会社の人はその感情がメインだったりするわけですもんね(笑)。
若新 そうですね(笑)。それが存在意義になってる。
だから今回おもしろいのは、別の報酬で置きかえられないんですよ。
信号の話は「交差点を渡る瞬間だけ感情を排除しろ」という、わかりやすい例だとは思うんです。どんなに急いでいても、救急車以外は赤で止まらないといけない。
「早く着きたい」と感情を抱くのは個人の自由なんだけど、信号とか標識だけは感情抜きに守ってね、っていう。ただ、はたしてそれを感情がうずまく組織にうまくインストールできるのかどうかですよね。
安藤 感情が報酬になっているような組織をどうマネジメントするか?
若新 人間が持つ「感情」との上手な距離感というのは、NEET株式会社でもすごいテーマなんです。結局、その感情が「エサ」になって食いついてるメンバーもいれば、感情に疲れすぎて辞めていく人もいる。
安藤 なるほどね。
若新 でも感情をなくしちゃうと、みんなの所属のメリットがなくなるっていう……すっげえムズイ。だから今回のテーマは2つあって、ひとつは「存在意義」。もうひとつは人間の集団における「感情」とどう付き合うかですね。
安藤 「存在意義」と「感情」ですね。たしかに。
若新 識学でも、感情は「完全にコントロールできる」というよりは「発生するもの」だとは捉えてるんですよね。
安藤 発生するものですね。ただし「人間に対して感情を出す」というのは、組織運営上はよくない。
若新 おー、いま我々は全部「対人間」だ(笑)。
安藤 人間に対してではなくて「結果に対して」出すということですね。なぜかというと、識学では組織の一員というのは「一人ひとりは機能にすぎない」という感覚なので。
若新 いやあ、おもしろいですね。うちには「簡単には機能に成り下がらねえぞ」っていうヤツらがわんさかいますんで。はたしてニートに識学が通用するのか?
安藤 これまで1,600社以上の会社を見てきましたが、ほんと今回ばかりはどうなるかわかんないですね。
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引用元:安藤広大/株式会社識学 代表取締役社長note「「ニート」の会社に組織マネジメントは通用するのか?」